ラーマナ・マハーリシ (秘められたインドより)
- mayumi

- 2021年6月5日
- 読了時間: 5分
更新日:2023年5月22日

★聖なるかがり火の山(アルナーチャラ)
この山は聖地と崇められ、
土地の伝説では、神々が世界の中心の印としてここに置かれたと言われている。
シヴァ神がある時火の炎としてあの神聖な赤い山の頂上に姿を現した。
シヴァは今でもこの山に宿っていると考えられている。
★マハーリシの生い立ち
1879年南インドのマドゥラから50キロ離れた村に生まれ。
父親は法律関係の職業で優良なブラーミンの家系。
17歳の時ひとり自室に座っていると、
突然説明しようのない死の恐怖に襲われ不思議な体験をする。
意識の深い光悦状態に入り、
そこで自己の真の源泉に、存在の本質に融合したような体験をする。
明白に、肉体は別のものであって、
自分は死には関係なく存続する、ということを理解する。
それ以来、決して去ることのない、内なる平安と霊性の力を楽しむ。
学業、家族を捨ててマドゥラから永久に姿を消し、アルナーチャラへ向かう。
到着後3年、話すために口を開いたことはなかった。
アルナーチャラの山に登り、ひとつの大きな洞窟で数年住む。
少数の弟子の一団が山の低い屋根に木のバンガローを作り、
彼に共に住んでくれるように説得し、
この地を出ることなく生涯を終える。
マハーリシは食べる物以外は何も求めたことがなく、
金に触ることは一貫して拒んだ。
心地良い中流の家庭を捨てた彼の信仰の冒険は、
どんな時であれ、ある力が彼へ食と住まいを確実に与え続けた。
★マハーリシの言葉
たったひとつなすべきことがある。
あなたの自己を見つめよ。
このことを正しいやり方でするなら、
あなたは自分のすべての問題に回答を得るだろう。
なぜあなたが将来のことを心配しなければならないのですか?
あなたは現在のことさえよく知らない!
現在によくお気をつけなさい。
未来は未来が自分で気をつけます。
この世界を統治する一者がいます。
世界の面倒を見るのは彼の仕事です。
この世界に生命を与えた彼は、
それをどのように世話をするかについても知っています。
この世界という重荷は彼が負っているのであって、あなたではありません。
あなたが在るように、世界は存在する。
あなたを理解することなしに、世界を理解しようとして何になるか。
あなたの質問は真理の求道者には不要な質問です。
人々はそういったあらゆる質問をし、時に浪費している。
まず最初に、あなたの奥にある真理を見出しなさい。
そうすれば世界の奥にある真理も理解していくでしょう。
あなたは世界の一部なのだから。
☆
人間の最大の誤りは、生まれつき弱い、生まれつき悪い、と思うことです。
すべての人はその真の性質において、神聖で強いのです。
弱くて悪いのは、彼の習慣と彼の欲望と彼の思いなのです。
彼自身ではない。
☆
活動の生活を捨てる必要はありません。
毎日1、2時間の瞑想をするなら、
仕事という義務を難なくこなすことが出来るでしょう。
瞑想のやり方が正しければ、
誘導された心の流れは仕事の最中にも続くでしょう。
それはまるで、同一の思想を表現する二つの道ががあるかのようです。
瞑想中でとる態度を、活動の中にも表現することが出来るのです。
実践していけば、人びとや出来事や対象物に対する自分の態度が
徐々に変わっていくのに気づくでしょう。
あなたの行動が、自然とあなたの瞑想と符合するようになります。
進歩しつつある人は、仕事をしてもしていなくても、
次第に深まる至上の幸福を楽しみはじめます。
手は社会の中にあっても、頭は孤独の中に冷静に保っています。
自分自身に向かって『私は誰か?』という問いかけをしなさい。
この探求の最後は、あなたの内部、心の背後にあるものを見出すでしょう。
この偉大な問いを解決なさい。
そうすれば他のすべての問題が解決します。
すべての人間は常に悲しみに汚されることのない幸福を欲しています。
つまり終わりのない幸福をつかみたいと思っているのです。
この本能は本物です。
人々は個別の自分を最も愛している、という事実に気づいたことがありますか。
人の真の性質は幸福なのです。
幸福は、真の自己の生得のものです。
彼の幸福の探究は、彼の真の自己の無意識の探求なのです。
真の自己は不滅です。
それゆえ、人がそれを発見するときは、終わりのない幸福を発見するのです。
長い間、他者の考える通りに考えるのが習慣であったために、
いまだかつて正しい態度で ”私” に直面したことがないのです。
自分というものの正しい概念を持っていません。
あまりに長い間、自分を肉体であり頭脳であると思って来ましたから。
だからこの『私は誰か?』という探求をする必要があるのです。
人がはじめて真の自己を知る時、
何か別のものが彼の存在の奥底から生じ、彼を独占します。
そのあるものとは、心の背後の無限、神聖、永遠です。
ある人々は天の王国と呼び、ある人々は魂と呼び、
ある人々はニルヴァーナと呼び、ヒンドゥーでは解脱と呼びます。
これが起こる時、自らを失うことは全くなく、むしろ彼は自己を発見するのです。
人が真の自己を探究しない限り、また始めるまで、
生涯に通じて疑惑と確信の欠如がついて回るでしょう。
偉大な王や政治家は他者を支配しようと努めますが、同時に心の奥底では、
自分が自分を支配し得ないことを知っています。
しかし、自分を最も深く洞察できた人は最大の力を駆使出来るのです。
自分は何者かということを知らないで、あらゆる事を知ったとして何になりますか。
人々は真の自己の探求を避けますが、他の何がこれほどの価値を持つでしょうか。
「真の自己を知りなさい」
そうすれば真理が、あなたのハートで太陽のように輝くでしょう。
心は悩みなく、真の幸福に溢れます。
幸福と真の自己とはひとつのものですから。
ひとたびこの自己に気づけば、決して疑いを持つことはありません。
☆
『私は誰か?』という探求を冷酷に追求せよ。
全人格を分析せよ。
私意識がどこから始まるか、見出すよう努めよ。
瞑想を続けよ。
絶えず注意を内に向けよ。
ある日思考の車輪が回転をゆるめ、
直感が神秘的な形で生じてくるだろう。
その直感に従え。
思考を止めよ。
それがついにゴールに導いていくだろう。



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