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禅の言葉

  • 執筆者の写真: mayumi
    mayumi
  • 2022年1月30日
  • 読了時間: 4分

更新日:2022年3月1日


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ブッダの真理のことば より


すべてのものは、心によってつくりだされる

汚れた心でつくりだしたものは、人を苦しめ、

清らかな心でつくりだしたものは、人を幸せにする。


人に恨みの心を持ってはならない

私たちは、現在ただいま、この場所で死ぬ可能性があるからだ。

熟した果実がいつも落ちる恐れがあるように、

生まれた人はいつでも死ぬ恐れがある。


一時といえども心を苦しめないように気をつけよう

そして、つねに心に喜びを与えてやろう

この覚悟があれば、人と争うことはない。


心は動揺しやすく、制しがたいが、

心を制御し、安定を得る人は、恐れるものがない。



★善と悪

この世で悪い行いをした人は、来世で永遠に悔い悩むであろう。

この世で良い行いをした人は、来世で永遠に歓喜するだろう。


悪いことをしても、その業 (カルマ)は、

搾りたての牛乳のように、すぐには固まらない。

その業は次第に固まり、悪いことをした者につきまとう。



★生死は仏の御いのち

人間の、生きるの、死ぬのというは、

自分ひとりの生死ではなく、

宇宙の大生命とかかわりあっている。

だから、自分の苦悩から命を捨てるのは

仏の御いのちを無にすることだ。


その反対に、自分の生や死に執着することも

大宇宙の意志にそむくことになる。

だから・・・生きているときは

精いっぱいに生き、

死に直面した時は、じたばたせずに、

宇宙の大いなる意志におまかせすることだ。




マハリシや中村天風も同じような言葉を残しています。

たくさん本を読んでいると、

覚者はみんな同じ心を持っている。

ということが、よくわかります。




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中村天風 より


私たちの心は、本来どこまでも清らかで

永遠につづくものである。

この世の心配事、悩み事はすべて

暗黒の海の底の泥からぶくぶく浮き出してくる

・・・あぶくのようなものである。


本来の心にまかせて生きてれば

何事もうまくいく。

私たちは本来、神、仏につながる

偉大な心の持ち主である。


暗黒の海底の泥は無明である。

煩悩や妄想が本来の心を隠しているにすぎない。


だから、本来の心に従って生きていこう。

本来の心が物事を解決し

よい方向にいくように計らってくれる。


人を憎む心が起こったら

その念を継がずに

本来の清らかな心に戻って生きていこう。



人の心は広大無辺である。

月を見て佇めば

心は見ている月よりも

さらに大きい。


「大いなる哉 心や

天の高きは 極むべからず

しかるに 心は天の上に出づ」


宇宙の創造者の属性とは

真と すべてのものに対する愛と 美しさである。


私が自分の心を

真と愛と美で満たすとき

宇宙の創造者の無限の力が

心の中に入ってくる。





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ラマナ・マハルシ より


ありうるかありえないかと

思い測ることをやめて、

自己への瞑想を持続するべきである。

一つは善く一つは悪いという二つの心はない。

心はただ一つである

善い悪いの二種類があるのは、

刻み込まれた印象世界でのことである。

心が善という印象の支配下にあれば

それは善と呼ばれ、

悪の印象の支配下にあれば邪悪とみなされる。


心は世間の事物や他者に関する事柄に

彷徨い出さないように、

戒められなければならない。

他者がどのように邪悪であろうとも、

彼に憎しみを抱かないように

しなければならない。



欲望と憎しみは、二つとも避けなければならない

人が他者に与えるすべては、実は自分自身に与えているのだ

この真理が理解されるなら、他者に施しをしないでいられようか。


その人自身が立ち現れれば、すべてが立ち現れ、

その人自身が静まれば、すべては静まる。

謙遜を忘れないならば、それに応じてよい結果を見るであろう。

心を静寂に帰せば、人はどこにでも住むことができる。



結婚していようといまいと、人は自己を実現することが出来る。

なぜなら自己は、今ここにあるからである

もしそれが今ここになく、

いつかある時のある努力によって到達出来るものであり、

新奇なもので外部から獲得するようなものならば、

それは追求する価値のないものである。

自然でないものは、永遠でもない。

つまり、私が言わんとしているのは、

自己は今ここにあり

そしてひとりだということである



あなたは自分の至福に満ちた状態について無知だ。

無知は次から次へと続き、至福である自己にヴェールをかける。


努力はただ、この悪い知識である無知のヴェールを剥ぐことに向けられればよい

悪い知識とは、自己と身体や心などを誤って同一視することである。

この偽りの同一視は去らねばならぬ。

そうすればただ自己のみがそこに残る。



あなたの務めは在ることであり、

これであったりあれであったりすることではない。


「私は私であるものある」ということが、すべての真理の要諦である。

その方法は「静かであること」に尽きる。

では静寂とは何を意味するのだろうか。

それは「あなた自身を打ち壊す」ことを意味する。

なぜなら、全ての名前や形が困難の原因だからである。


 
 
 

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