Book : 中村 天風 運命を拓く①
- mayumi

- 2021年9月11日
- 読了時間: 11分
更新日:2023年5月22日

著者:中村天風
本名 三郎。明治9年7月30日
旧東京府豊島郡王子村(現北区)生まれ。
明治35年頃参謀本部諜報部員として旧満州に派遣され諜報活動に従事。
30歳の時奔馬性肺結核発病。
救いを求めて米、欧を巡るも回復せず
日本への帰路、経由したエジプトの地で、
ヨガの聖者カリアッパ師に巡り会う。
ヒマラヤのカンチェンジュンガで行修。
大正8年突如感ずるところあり、社会的地位、財産を放棄し「統一哲医学会」を創設。
政財界の有力者が次々に入会。
昭和15年1月同会を「天風会」と改称。
本当に素晴らしい本でした!!
心のひとつ置きどころで、人生にどれほどの影響をもたらすか・・
これからの人生、積極的な心持ちを常に忘れず、
天風さんの力強い渾身の教えを肝に銘じ活きていこうと思います。
天風さんが不思議なご縁に結ばれ
ヨガ聖者カリアッパ師と巡り会い、
インドヒマラヤの麓の村カンチェンジュンカにて
ヨガ修行の後に悟ったこととして語られています。
「わが生命は、大宇宙の生命と通じている」
生命は、生きて、生きて、ひたむきに生き抜くものである。
生き抜くために生命は、強い力と素晴らしい知恵を保有している。
生命は、力と知恵を行使して、絶妙な創造活動をする。
そして生物は進化し人間は向上する物ものである。
宇宙には目的があり、
その方向性と法則性の中に、人間は生きねばならない。
「人間の心で行う思考は、人生の一切を創る」
これが数十年来かかって考え苦心の末、
ようやく悟り出した、人間に絡まる宇宙真理であった。
だから、どんな場合であっても、
消極的な方面から物事を思ったり考えたりしてはいけないのである。
この法則を乱さないように活きるなら、
人生は期せず、大きな調和の元に満たされる。
そして無限の強さと、生命の無限の自由が自然に出てくる。
これが仏教でいう『無礙自在』である。
どんな場合にも、心の思考作用と、宇宙を司る創造作用ー物を生み出す力、
とは別々に別れているのではなく、
本質的に一つのものであるということを忘れてはいけない。
人間というものは、人間自身の心の中の思わせ方、考えさせ方が、
自分の生命全体を、強くも、弱くもするのだということを、
厳格に悟ろう。また悟らなければならない。
人間の心に、何かの観念が出ると、
その観念の型通りに宇宙全体から微妙な力が働き出し、
その観念の型が、良ければ、良いように、
悪ければ、悪いように、
分かりやすく言えば、
思い方や考え方が積極的であれば、積極的なものが出来、
消極的なら消極的なものが出来る。
そういうように真理が出来ている。
人間の境遇や、その人の現在に同情するということはない。
真理というものには同情はない。
だから、怠らず注意深く、
自分の心の中の思い方や考え方を積極的にすることを努力しよう。
もし心の中で消極的なことを思ったり考えたり、
神経を過敏にしたりする人間がいたら、
その人間は、真理を冒涜するバチ当たりだと遠慮なくいおう。
みずから、尊い宇宙本体の力を拒否し、否定している人間だ。
尊い慈悲の力を、自分で踏みにじっている人である。
神経過敏な人間は、
現在の苦しみから逃れたい、死ぬのが恐ろしいという。
それじゃ、生まれる前は恐ろしかったのか?
死ぬことは、生まれる前と同じ境涯に入るだけのことじゃないですか・・。
①生命の力
「人間の生命に与えられた活きる力は、
肉体にあるのではなく、霊魂という気の中にある」
現代の人間は肉体が自分だと思っている人が多いではないか。
しかし人間というものは、その正体を突き詰めていくと、
何も見えない、また感じない、霊魂という気である。
その霊魂が、現象世界に命を活動させるために、
道具として肉体と心が与えられている。
肉体が生きてるのは、霊魂という気の力が肉体を活かしている。
例るなら、回っている扇風機にそれを回す力があるのではなく、
電気がこれを回しているのと同じである。
この事実を正しく心に持っている人が極めて少ないため、
わずかな不健康な状態が肉体に生じてもすぐに心配する。
それというも、霊魂という気から送り込まれる微妙な力が量多くさえあれば、
不健康な状態は直ちに健康状態に回復するという原理を知らないからである。
したがって可能な限り、
消極的な気持ちで肉体を考えないようにすることが、何よりも大切である。
特に病の時は病を忘れる努力をするべきである。
「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」
心が積極的方向に動くのと、消極的方向へ動くのとでは、天地の相違がある。
ヨガ哲学ではこれを、
「心の思考が人生を創る」と表現している。
人間という生命は、一切の生命をしのいでいる力の結晶だ、
と正しく思い込んでしまうことである。
そしてこれを、いかなる場合にも、心にしっかりと堅持することである。
★力の唱句
私は力だ。 力の結晶だ。
何ものにも打ち克つ力の結晶だ。
だから何ものにも負けないのだ。
病にも、運命にも、
否、あらゆる全てのものに打ち克つ力だ。
そうだ!強い、強い、力の結晶だ。
②人生を支配する法則
心が何か思ったり、考えたりすると、
直ちに宇宙霊が、その心の状態の通りに働き出す。
人間が真理を思う時、宇宙霊は人間の心を通じて、
その正しい思考を表面に現そうとする。
反対に人間が悪を思えば、宇宙霊はやはり、
その通りの事実を人生に作り出そうとする。
宇宙霊の持つ創造の力は、その心に刻まれる思考、
観念に従って、積極方面にも消極方面にも活動する。
特にその思考、観念が強烈であればあるほど、よりその活動力を増す。
人間はその本質が霊であるため、
その本源である宇宙霊を呼び寄せる働きを持っているのは当然の事実である。
これを確固たる信念として心に植え付けなければならない。
「人間の背後には、人間が何を欲するにも、また人知れず何を思うにも、
その一切を現実の形として現そうと待ち構えている宇宙霊が控えている」
人生はただ食べて、寝て、起きて、
何十年か過ごすために人間として生まれていたのではない。
何のために万物の霊長たる人間として生まれてきたのか・・
「人間は、宇宙の進化と向上に順応するために生まれてきた」
つまり人間はこの宇宙の創造を司る造物主の宇宙根本である宇宙霊と
自由に結合し得る資格を持っている。
と同時に共同活動を行う一切の力が与えられている。
これを理解し活きる者が、生き甲斐のある人生を作り得る。
この悟りが開けて以後は、人生は「天馬空を行く」状態である。
他の追従を許さない幸福で毎日を活きているのである。
自分というものは、ひとりでいるのではない。
常に宇宙霊をいうものに包まれていて、
しかも宇宙霊は全知全能の力を持っている。
それと結びついている生命を自分が持っているのである。
つまり自己というものを無限大に考えてよい。
人生をあまり難しく考えない方が良い。
難しく考えると分からなくなる。
真理は足もとにある。
③言葉と人生
「その一言一語、その言葉の全てが、人生に直接的に影響する暗示となる、
という大事な宇宙真理を絶対に忘れないこと」
人間の精神生命の中には、暗示の感受習性というものがある。
だから、一言をいうのも、この暗示の感受習性というものが、
必ず自分が気がつかなくても、声に応じたように感じる。
感じると同時に潜在意識に対し、その通りの状態が働き出すのである。
心の持ち方を常に積極的にしろというのも、
この言葉と相対関係があるからなのである。
何気なく出てくる言葉というものは、
どんな人の言葉ですら、その言葉になる前には、観念が言葉を創るのだから。
真剣に考えよう!
実際に日々使っている言葉ほど、実在意識の態度を決定する上、
直接に強烈な感化力を持つものはない。
感化力というより、むしろ暗示力といおう。
このことを完全に理解し、かつこれを応用して活きる人は、
もはや立派に人生哲学の第一原則を会得した人だといえる。
現代人はやたら消極的な言葉を使うことがよいと思っている人がいるが、
とんでもないことである。
仲間の群を抜く人の言葉というものは消極的な言葉を決して出さない。
しかし、あなた方ときたらもう始めから終わりまで消極的なのだから。
どんな場合にも自分の言葉で消極的なものにし、自分の生命を損ない、
なおかつ、それを耳で聞いている他人の心持ちまで悪くしないようにしよう。
そうなると善人が悪人になるじゃないか。
その一言一語が自分のみでなく、
全ての人々に良い影響も与えるし、悪い影響も与える。
だから、常に積極的な言葉を使う習慣を作りなさい。
★言葉の唱句
私は今後仮初にも、我が舌に悪を語らせまい。
否、一々我が言葉に注意しよう。
同時に今後私は、自分の境遇や仕事を、消極的な言語や、
悲観的な言葉で、批判するような言葉は使うまい。
終始、楽観と歓喜と、輝く希望とはつらつたる勇気と、
平和に満ちた言葉でのみ活きよう。
そして、宇宙霊の有する無限の力を我が生命に受け入れて、
その無限の力で自分の人生を建設しよう。
④大いなる悟り
どんな場合であろうと、創造主と自分の生命との結び目を堅固に確保する。
この結び目を堅固に保たないと、病が出たり、不運が来たりするのである。
自分の心の持ち方が消極的になると、
この結び目が緩み、創造主の心と自分の心が離れ離れになってしまう。
創造主の心の中には、消極的な弱いものは、一つもないのである。
この結び目を堅固に保つにはどうしたら良いか。
それには、わが心を創造主(宇宙霊)の心と同様の状態で活きることが、
秘訣の第一である。創造主(宇宙霊)の心は絶対に積極である。
創造主の心とは「真」「善」「美」である。
「真」=「誠」で一点の嘘偽りもないことが「誠」である。
「善」=「愛情」
「美」=「調和」
あなた方にも愛情はあるのだけれど、あなた方の愛情は偏った愛情である。
すなわち自分の気に入ったものだけ可愛がって、
気に入らないものは可愛がりやしない。
そいうのは本当の愛情ではない。
太陽の光のように、あれこれと選ばないで普遍的な気持ちで愛さねば駄目である。
あなた方は可愛いものだけ可愛がり、憎らしいものを憎む。
第一、憎むという気持ちは、悪魔の気持ちである。
もし自分が人から憎まれたら、どんな気持ちになるか考えてごらんなさい。
あなた方は憎まれるのが好きですか。
それとも愛されるのが好きですか。
村八分にされるのを好きな人間はいないだろう。
世の中は公平に出来ているんだから、
心を積極的にしさえすれば、健康も良くなり、運命も立ち直るように出来ている。
だから、もっと自分の心を磨きなさい。
心を積極的に持つようになると、
要らないことはどんどん忘れて、
要ることだけを覚えてくれる心になるのだ。
心の中に要らないものを沢山持っていると、
肝心要のものを覚えようとする時、
要らないものが詰まっているから、程よく覚えられない。
心には偉大な働きがあるのだから、
どんな場合でも、病があったり、不運の時には、
より一層、心を積極的にするように努力しなさい!
「人が何と言おうと、そうするのだ!」
と言わんばかりに、心を積極的にしなさい。
⑤人生と運命
運命というものには二種類ある。
どうにも仕様のない運命を天命といい、
人間の力で打ち開くことの出来るものを宿命という。
万事がビクビクと活き、
口では偉そうなことを言っているが、やたらと迷信に陥りやすく、
ただ偶然ということのみを当てにして人生を活きている人が多い。
それでは、くだらない人生だけが結果に来るだけである。
なぜかと言うと、自分でそういうくだらない状態を選び出しているからである。
そして結局は、医者のお得意様になったり、薬屋のお客になったりと、
引き受けなくてもいいようなことを引き受けている。
そしてもちろん自分ではそれに気がつかない。
自己の無自覚
無自覚というのは人生に対する低級の人間、
それから神経過敏の心、
神経過敏というのは気の弱い人間のことをいう、
この二つが人生をくだらない、価値のない、哀れなものにしている。
そして、自分だけが良くない運命に囲まれている人間のように思ってしまってる。
「迷信深い人間は、さかりのついた動物よりも下等だ」
このような人間は、人生をうろちょろと自分自身のことを自分時敏で決定出来ない。
自分より教養が少ない、自分より劣っている、拝み屋や易者のところに行き、
運勢などを占ってもらうなんて、恥ずかしいと思いなさい。
人生はもっと自由な世界に活かさねば、うそじゃないか。
宇宙真理がいったのならともかく、貴重な自分の人生を、
他人にかき回され、自分自身の自由を拘束され活きているのだ。
自分の心を、積極的にして活きるという方に自分の心を決定しなさい。
そうすればもう、天命なんてものは極めて僅かしかない。
宿命は全て打開していくことが出来る。
腹の立つことがあろうと、悲しいことがあろうと、
瞬間に心から外してしまえばいいんだ。
心を積極的にすることを心がけ、自分の心を汚さないようにするには、
気がついたらすぐにそれを拭いてしまえばいい。
怒ったり、悲しんだり、痛いとか、憂とかいう場合、
それを感じると同時に、握ったら放さない。それがいけないのだ。
感じるな。というのではない。
例えば、列車がフルスピードで走っているときに、
窓外の景色を気にしないじゃないか。
外の景色があると思っても目に止まっただけで、
スーッと行き過ぎてしまうじゃないか。
それと同じようにするんだよ。
第一、考えてみよう。
怒ったり、悲しんだり、悶えたり、迷ったり、苦しんだりする時、気持ちがいいか?
気持ちがいいという人がいたら、精神病に入った方が良い。
私は長くそこへ滞っているのは嫌だ。
朝起きてまず第一、ニッコリ笑う。
そして自分自身に約束をする。
『ふたたびは 来らんものを 今日の日は
ただ ほがらかに 活きてぞ たのし
悲しくば 明日悲しまめ 今日の日は
光うるおしく 吾れを 照らすを』
明日という日は永久に来ないから、こういったのだ。
今夜寝て、起きれば、明日が来る、と思っているだろう。
寝て、覚めて、明日になってごらん。明日が、今日になるから。
だから明日という日は日向の影法師と同じ、いくら追いかけても掴まらない。
だから、悲しくば明日悲しまん・・
明日悲しもうと思って、翌る日、目が覚めると今日になるから、また明日になる・・



コメント