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Book:シンプルに生きるストレスからの解放

  • 執筆者の写真: mayumi
    mayumi
  • 2020年2月2日
  • 読了時間: 4分

更新日:2022年3月4日


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著者:ドミニク・ローホー

フランス生まれのフランス育ち。パリ、ソルボンヌ大学においてアメリカ文学の修士号を取得。イギリスのソールズベリーグラマースクールにおいて一年間フランス語教師として勤務した後、アメリカのミズーリ州立大学、日本の仏教大学でも教鞭を取る。ヨーガを習得。日本在住歴は30年。

  

以前読んだ ”シンプルに生きる” と同じ著者です。とてもヨガ的な考えで参考になります!








★ストレスと付き合うための最初のアドバイス


・からだを養う

・よく食べ、からだに優しい食事を心がける

からだに酸素を与えて上げる

からだを動かす

・自分にとって楽しみとなる様なボディケアを自分にプレゼントしてあげる

自分の体内時計を守る



自分が誰なのか、をしっかり意識せずに生きることは自らを衰退や破壊の道に導きます。

私たちの人生は、私たちの想像がなすもの、私たちが出す波長の質を変えるのも、

自らが持つ可能性を引き出すための新たな扉を開くのも、

生きがいを見つけるのも自分なのです。


内面の世界が外の世界を創るのです

自分の「思考」を選択することを学びましょう。

良いことが必ず自分の身の上に起こることを確信する様に自分の心に念じ、自分の「思考」を正しく、美しく、良識ある物事の方向へ導くことが出来る様に「監視」しましょう。



呉偉の信仰者たちは言います。

「もしあなたの心が不要なもので濁っていなければ、

 あなたの存在の最高レベルに達している」

心に秩序をもたらすことは、モノを片付けるのと同じで、

役に立たない思考を取り除き

より重要な事柄のために心の中にスペースを確保することを意味します。


心配、見放されたと感じる、孤独感、落ち込み、

否定的になる、怒りで頭が一杯になる。


そういう時は、面白い本を読む、いつもと違った服装をする、

花を飾る、音楽をかける、香を焚く、アロマキャンドルをつけるなどして、

自分の周りを出来る限り楽しくする様に心がけてみましょう。



仏教の教えです。

話すことを止め、考えることを止める、すると何もわからないことはなくなる


瞑想の間、曖昧さ、他人への依存、

そして執着といったものが全て完全に消え去り、

究極の自由を感じることが出来ます

これが最も早く、そして簡単に幸福に到達する道です。


大切なことは、僅かな時間でも自分の内側に目を向け、注意深くなることなのです。

これは他のどこにもないパワーを自分に与えてくれます


私たちの意識と注意力を研ぎ澄ませていくこのプロセスこそが

日常生活において非常に役立つ様になるのです。


ただ単に「存在」しているといった状態をじっくり味わってみましょう

そうして自分の精神が沈黙の中で再び充填されるのを待ちます

自分のイメージから解き放たれ、新しい人間になった感覚を呼び覚ますのです。

禅仏教のある師匠は次の様に言っています。

空に流れる雲の様に思考も流されるままにするのです

 命について考えず命そのものになるのです。



自己を改善することは、自己形成、

または知識を習得することよりも自己を解放します

そのためには、自分の欠点を修正し、

なりたかった自分、

今まで一度もなれなかった自分になりきる為の方法を

見つけていかなくてはなりません。


真の哲学とは自己規律です。

これは自分との対決を余儀なくさせます。

そして何よりもこれらの訓練を好み、必要とし、これが豊かさの源で、

自分になくてはならないもの、と感じる必要があります。

自己改善の訓練を始める前に、まずこの訓練が自分にとって苦痛になるのではなく、

欠点を克服した暁には楽しみと満足感が増大することを確信しておくことが大事です。



貧しさは、東西問わず多くの神秘主義者や思想家にとって「徳」とされ、

禅の教えによると「清貧」とは金銭の貧しさを意味するのではなく、

謙虚さと現世的な欲望の放棄とされています。


マイスター・エックハルトによると、

この世の貧困の原因はエゴと所有することへの過度な執着心だと言います。


これは仏教においても全く同じです。

私たちの目的は所有する(To HAVA)ことではなく、

存在する(To BE)ことなのです。

花を見るのは存在の世界に生きることであり、

それを摘むのは所有の世界に生きることであります。



十分だと思う者には常に十分与えられている。 ( by 老子 )

シンプルで賢い生き方は同時に優雅でもあります。


それがこの「十分」という言葉に集約されています。

「十分」という言葉は、幸福をもたらす言葉です。

十分に生きる、十分に食べる、十分に満足。



友人、音楽、本は吟味して選びましょう

現代社会の中、私たちはあまりにも受動的。

インターネット、テレビなどのメディアや流行が強要することを

そのまま受け入れてませんか?

「善く生きる」とは「生き生きとしている」こと、

そして人生を愛すること。これが条件です。



人はその心の内以外どこにも、

安らぎと隠れ場所を見つけることは出来ません

心の奥底にその概念が既に備わっている場合は、

少しだけ内観するだけで瞬時に落ち着きと秩序を取り戻すことができます。

 
 
 

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